ピーター・ヴェツァー
ピーター・ヴェツァーはハンガリーの北西端に位置しオーストリアのブルゲンラント州に接している町ショプロンにて、古くからワインを造っている家族の下で生まれ育ち、彼で五代目となります。
ショプロンはハンガリーで最も古くから葡萄栽培が行われていた町で、春は温暖、夏は降水量が多く、秋は乾燥して暖かい夕方と涼しい夜が続き、冬は穏やかで、年間を通して過ごし易い気候です。ハンガリーの他の地域よりは寒いため、収穫は他の地域よりも3週間ほど遅くなることがよくありますが、葡萄が熟すのに時間がかかることで、フィネスを感じるワインが生まれます。
ピーターはワインの世界を学んでいる時に、自分は自然な造りをしたワインを非常に好むことに気付き、認証は取得していませんが、ビオディナミ農法で葡萄造りをしています。2007年にはショプロンの町の周りに2.5ヘクタールの自社畑を購入、そして1.5ヘクタールの畑を借りて合計4ヘクタールの畑の葡萄を育てています。
粘板岩土壌の5つの異なる歴史的な高価格区画でケークフランコシュ(ブラウフレンキッシュ)を栽培して、他の場所ではフルミントやピノ・ノワール、グリューナー・ヴェルトリーナーなど、いくつかの異なる葡萄品種も栽培しています。
ワインの醸造はすべて無清澄、無濾過、ボトルング時にごく少量の硫黄のみ使用。非常に健康な土壌を作るように努めており、通常は年に2回、銅、硫黄、彼が育てたイグサを必要最低限の量だけ噴霧して、肥料を使用する代わりに被覆作物を栽培して葡萄畑を覆っています。必要以上に人の手を加えないことが彼の哲学であるため、土壌を耕したり葉を刈ったりせず、全ての葡萄を手摘みで収穫し、天然酵母にて自発的に発酵させます。
彼のセラーは120年以上前から家の地下にあり、そのセラーには完璧な微生物フローラが存在しています。そして、いくつかのステンレス鋼タンク、手動バスケットプレス、古いバレルのみで、彼はワイン作りに日々取り組んでいます。
ピーターにとって理想のワインとは、個性とアイデンティティを持つワインです。伝統的な葡萄品種を使用し、昔から続くテロワールの特徴を表すような、個性的で繊細なワインを造ることを目指しています。また、自分自身のワインをトレンドやファッションのワインではなく、流行のワインを作っていないと本人は語ります。
スキンヘッドで大柄で、いかついイメージがありますが、話すととてもおしゃべりも大好きで、見た目以上にファニーな一面もあります。そして、ワインに対する情熱が強くあり、彼にとってワインは“小さな宇宙”と例えていました。自然に注意深く、耳を傾け、人、葡萄、土地、植え方、収穫、葡萄の扱い方、すべての事が液体に繋がり、そこに小さな宇宙があると考えているのです。
特別な土壌、生きた水や周りの植物によって葡萄は成長し、成熟します。太陽、雨、風などの影響を受けた全てをボトルに詰め込み、そこに小さな宇宙が存在して、それを、目で見て、アロマを香り、味わうことができるのはワインに対する魅力で面白さと話していました。
まだ彼のワインの生産本数は、非常に少ない為、ワインだけでの生活は成り立たたず、ワインショップやガソリンスタンドで働くなど、自分の作りたい理想のワイン、また家族の為に日々努力を怠らない人柄です。
また、ピーターのワインのラベルには品種やシンプルな言葉が描かれています。彼は、ピーターは日本酒やジャパニーズ・ウィスキーを飲むことが好きで、日本語のラベルや習字から影響を受けラベルを作成しています。
ケークフランコシュ
<ブドウの特徴>
大きくて分裂していない葉、適度に密集した房、中程度の大きさで皮が厚く濃い青色の果実が特徴です。早く芽を出し、遅く熟します。収穫量の多い品種です。
<栽培されている場所>
世界のケークフランコシュの半分はハンガリーで生産されています。
<味わい>
多用途で高品質な品種。このワインはほとんどの場合(スタイルによっては異なりますが)、フレッシュでフルーティー、イチゴ、ラズベリー、スミレを思わせる花のような繊細なスパイシーな香りがします。酸味が高く、タンニンもしっかりしています。さまざまなテロワールによく適応し、樽熟成との相性も良好です。
<ペアリング>
ロゼとよりライトなスタイルの赤ワインはトマト料理、パスタ、ピザ、野菜のグリル、キャセロール、ラグースープ、ハンガリーのスープ、特にスパイシーな魚のスープとよく合います。
フルボディのスタイルは、レバーのフライやグリル、お肉のロースト、ミートローフ、鹿肉のシチュー、ローストした鹿肉とよく合います。
ケークフランコシュから造られたワインの風味と食感に最もよく合う食味には、根菜、ジャガイモ、キクイモ、キノコ、ビーツ、ナス、トマト、熟成チーズ、ガチョウ、アヒル、ジビエ、内臓、豚肉、子牛肉、羊肉料理などがあります。
ハンガリー ショプロンのワイン造りの歴史
ヨーロッパでは畑の近くにワイナリーを建てることが多いのですが、ショプロンでは、町の家の地下に巨大なセラーを掘りました。その理由は、戦争、略奪、火災からワインを守るためだったのです。収穫されたブドウは、通常、家族の家の地下にある何世紀も前からあるセラーに運ばれ、地下セラーで醸造・熟成されます。このスタイルが何世紀も続いていました。
ハンガリーのワインは、実は、世界的に高く評価され、フランス、イタリアに次ぐ世界第三位の生産国でした。16世紀、ショプロンとトカイはワイン造りの主要な拠点になっていました。1685年にはワイン産地にリスト化され、当時、8つの課税区分に分類された108ブドウ畑が記録されています。これは、現存する最古の分類の一つです。(ボルドーのメドックの格付けが1855年、フランスのAOC制度は1935年に制定)
しかし、19世紀にヨーロッパに猛威をふるったフィロキセラにより、ブドウ量は激減。かつて主流だった白ブドウ品種のフルミントはフィロキセラの蔓延によりほとんど姿を消してしまいました。
更に、第二次世界大戦後、敗戦国となったハンガリーはソビエトの支配下におかれます。ブドウ畑は国営化がすすめられ、ワインはソビエトに送るため、「質より量」が求められ、今までとは真逆の工業的なワイン生産を求められることになったのです。
ハンガリーは1989年に社会主義体制から民主化すると、伝統的なワイン醸造やワイン法が復活しました。家族経営、個人経営のワイナリーも出現し、土着品種をよみがえらせ、伝統を守りつつも最新技術を導入し、テロワールの力を引き出すワイン造りが始まっています。
ショプロンのワイン文化の復興にかけて 〜それはまるで接ぎ木のように〜
自分は何をするためにこの世に生まれてきたのか?
ハンガリー•ショプロンの生産者で名前はピーター•ヴェツァーは、ケークフランコシュ(ブラウフレンキッシュ)やフルミント、グリューナー•ヴェルトリーナーを使ったワインを造っています。
ショプロンはオーストリアのブルゲンラント州に隣接している町で、昔からワインを造っている場所でもあります。事実、ピーターの家にも120年前に造られたセラーがあり、彼は5代目です。
この話の流れであれば小さい頃からブドウ畑に出てワイン造りを手伝っていたという文脈が続きそうなのですが、彼の場合はそうではありませんでした。
彼のワイン作りは2007年に開始している(再開といったほうがいいのかもじれない)ので、それ以前はしていなかったと考えるのが自然です。
その理由はハンガリーの歴史にあります。しばし、歴史の振り返りにお付き合いください。
第二次世界大戦後、ハンガリーはソビエトの支配下におかれ、1949年に社会主義国となりました。社会主義国では、原則として土地は固有の私有物ではなく、国家や社会全体のものと位置づけられます。
社会主義国になる前に、ピーター一族がブドウ畑を所有していたとしても、それは国家のものとなり、国家主導でその土地を使用することになります。
ワインはソビエトに輸出するため、質よりも量が求められ、除草剤や化学肥料を使用する工業的なワイン生産が始まります。
ハンガリーは1989年社会主義体制を放棄し、民主化すると伝統的なワイン醸造やワイン法が復活することになりますが、社会主義体制を放棄したからといって、すぐに皆が豊かな生活ができるほど現実は甘くはありません。
ピーターのご両親は、社会主義体制の中で苦労し、ピーター自身も社会主義と民主化の二つの世界の中で、ハードモードの人生であったと推測します。
ピーターはアイゼンシュタットとウィーンのワイン業界で働きながら、ショプロン内外のワインについて学んでいたのですが、ケークフランコシュ(ブラウフレンキッシュ)がハンガリーのショプロンのワイン産地で長い伝統を持っていることを知ります。
事実、1685年にはショプロンはワイン産地として記録されています。
更に、彼は、両親の家で何世紀も前のブドウ畑の記録や当時繁栄していたワイン産地に関する記述を見つけます。
ソビエトの支配下におかれ、姿形が変わってしまったブドウ畑の中に残っているものがあるとするなら、それは、先祖が大切にしてきた記憶。
過去に何世代にも渡って管理されてきた土地の歴史、土の言葉を聞き、環境に応じた畑の手入れと語り継がれてきた味や道具。
誰にも真似できないものがこの地にあるとするなら、彼らが時間をかけて作ったワイン文化そのものではないか。
代々受け継がれてきたことの中に、自分が生きる意味があるとするならば、それは、何もなくなってしまった土地に新たに意味を編集することではないか。
それはまるで接木のように。
ピーターは、先祖の足跡を辿ることを決意し、ワイン造りを再開します。
しかし、ケークフランコシュやフルミントの古木が残る健全なブドウ畑を探すのは、想像以上に困難を伴いました。
それもそのはず。19世紀にヨーロッパ中を苦しめたフィロキセラによって、かつてこの地で主流だったフルミントはほとんど姿を消してしまったのです。
それでもピーターは諦めません。ピーターはこんなことを言っています。
自分にとって未来は、かつてこの地で行われてきたことを実践すること。
現在の姿は、ブドウ栽培の面でも技術の面でも、このワイン産地の歴史の一部になるには不十分である。
彼らはこの地で本当に素晴らしいことを成し遂げていた。あの当時のワインが今でも残っているとするならば、是非味わってみたい。しかし、それはできない。だからやる。他にやることは何もない。ここで一からやり直すこと以外は。